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小次郎
但、小次郎の名は、助六狂言の影響から、京の小次郎(曾我兄弟の異父名)などの名をとり入れたのではないかと疑はれる。其は、順序は此と逆ではあるが、月小夜(ツキサヨ)といふ名が、曾我狂言に入つたと同じ径路を持つたものと考へられる。(に)の大道寺の姓も「花館愛護桜」の絵、並びに其以後の愛護物語には、大抵見えて居るので、説経以後突然出来たものとも思はれぬ。(り)の転生説は説経にも、細工夫婦を故らに唐崎で死なせてゐるから、痕形もなかつた事ではなく、説経の手落ちと見る方がよさ相である。
即、此説経は、前半は極めて緻密な作意を立てたのであるが、若出奔以後は、衆人周知の事を言ふので、極の梗概を語るに止めたものらしい。穴生の姥の事を叙べて「もゝのにこうが之を見て」など言うたのも、其間の消息を洩してゐるのであらう。だから後半は、殆ど伝説其儘で、前半は創作と迄言へずとも、古浄瑠璃の型を追うて書いたものだ、と言ひきつて差支へないであらう。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:16
近江輿地誌略巻
近江輿地誌略巻十七に数へた愛護ノ若伝説の重要な点は、

継母の讒言(い)。若の出奔(ろ)。革細工の小次郎の情(は)。大道寺田畑之助の粟の飯(に)。帥ノ阿闍梨に会ふ(ほ)。桃及び麻の件(へ)。手白の猿(と)。霧降の滝の身投げ(ち)。小次郎は唐崎、田畑は膳所田畑の社、若は日吉の大宮と現じた(り)。

と言ふ個処である。其中説経には(は)を唯細工としてゐるだけで名は伝へぬ。(に)の大道寺の姓も見えぬ。(ほ)の帥ノ阿闍梨の件は、会ひに行つた、といふ処を略した言ひ方と見るべきである。(ち)の霧降はきりう即飛龍の滝の事である。(り)の小次郎・田畑之助の転生一件はない。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:15
四条河原
かみくらやきりうが滝へ身を投げる。語り伝へよ。松のむら立ち

とう/\若は、身を投げた。其時十五歳とある(五段目)。
滝のほとりにかゝつてゐる小袖を見つけた山法師等が、山の稚児の身投げと誤解して、中堂へ上つて、太鼓の合図で稚児の人数しらべをする。ところが小袖の紋で、若なる事が訣つた。実否を確める為に、二条へ使が行く。さて父・叔父などが集つてしらべると、下褄に恨み言が発見せられ、其末に「四条河原の細工夫婦が志、たはたの介兄弟が情のほど、如何で忘れ申すべき。まんそうくち(公事)を許してたべ」とあつた。
そこで、雲井ノ前は簀巻にして川に沈め、月小夜は引き廻しの末、いなせが淵に投げ込んだ。かの滝に来て見ると、浮んで居た骸が沈んで見えない。祈りをあげると黒雲が北方に降りて、十六丈の大蛇が、愛護の死骸を背に乗せて現れた。清平が池に入ると、阿闍梨も、弟子共も、皆続いて身を投げる。穴生の姥も後悔して、身を投げる。たはたの介・手じろの猿も、すべて空しくなつてしまふ。細工夫婦は、唐崎の松を愛護の形見(カタミ)として、其処から湖水に這入つた。其時死んだ者、上下百八人とある。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:15
小松
情を喜び、苗字を問ふと、弟せんちよが「之はきよすのはんと申すなる」と言ふ。お伴はしたいが、都へ出ねばならぬから、と別れて上つた。扨て其後、

岩ほの小松をとり持ちて、志賀の峠に植ゑ給ひ、おひ(松に?)せみやう(宣命)を含め給ふ。愛護世に出てめでたくば、枝に枝さき唐崎の千本松と呼ばれよや。愛護空しくなるならば、松も一本(イツポン)葉も一つ、志賀唐崎の一つ松と呼ばれよと、涙と共に穴生(アナホ)の里に出で給ふ。頃は卯月の末つ方、垣根はさもゝの盛となりけるが、若君御覧じて、一つ寵愛なされける。

処へ、其家の姥が現れて、れいじやの杖を振り挙げて打たうとした。若は、打たれるのを恥辱に思うて、麻畑に隠れた処が時ならぬ風が吹いて、隠れ処も顕に見えたので「桃のにこうが之を見て、桃をとるだに腹立つに」麻まで蹂み躪つたとて、打擲した。

若君は、穴生の里に桃成るな。麻は播(マ)くとも苧(ヲ)になるな。嵐ふくな、と申し置かれしより、花は咲けども桃ならず。麻は播けども苧にならず。

穴生の里は、後世まで呪はれたのである。
それからきりうが滝へ来ると、桜が散つて、愛護の袂に這入る。見ればまだ、蕾の花である。そこで、落ちた花は已に死んだ母上、咲いて居る花は父上、蕾ながら散るものは、此愛護の身の上であると考へて「恨み言書きたしとて、ゆんでのこゆびくひきり、岩の間(ハザマ)に血を溜め」恨み言を書きとめる。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:14
阿闍梨
二人の女は、愛護が父蔵人に此由を告げはすまいかといふ懸念から、逆に若を陥れる謀を用ゐる事になる。それは、重宝の鞍・刀を盗み出して、月小夜の夫に手渡し、都も都、桜の門で呼び売りさせて、清平の目につく様にして、若が盗んで売らせるのだ、と言はせようといふ魂胆である。此謀が早速成就して、怒つた清平は、若を高手小手に縛つて、桜の木に吊り上げて置く。若は苦しさのあまりに、血を吐いて悶えてゐると、手白の猿が主人を救はうとして、木に上るが、縄を解く事が出来ぬ(三段目)。
処が一転して、地獄の閻魔王の庁では、若の母が出て、若の命乞ひをして、自身出向いて救ひたいと願ふ。魂を仮托する死骸はないかと、鬼に見させると、娑婆では今日、人には死んだ者はないが、鼬が一匹斃れたといふ。母は早速、鼬の身に魂を托して、桜の下に現れ、若の縄を食ひ切つて助けると、手白が下で抱き止めて、怪我なく助つた。鼬は、母が仮りに姿を現したのだと告げて、かうしてゐては、終には命も危いから、叡山西塔の北谷にゐる、若の叔父帥(ソチ)ノ阿闍梨の処へ逃げて行くやうに、と諭して姿を消す。若は家を抜け出る日を待つて居る(四段目)。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:14
申し子
若の字、又稚(ワカ)とも書く。此伝説は、五説経の一つ(この浄瑠璃を入れぬ数へ方もある)として喧伝せられてから、義太夫・脚本・読本(ヨミホン)の類に取り込まれた為に、名高くなつたものであらうが、あまりに末拡がりにすぎて、素朴な形は考へ難くなつてゐる。併し、最流行の先がけをした説経節の伝へてゐるものが、一番原始に近い形と見て差支へなからう。
何故ならば、説経太夫の受領は、江州高観音近松寺(ごんしようじ)から出され、四の宮明神の祭礼には、近国の説経師が、関の清水に集つた(近江輿地誌略)と言ふから、唐崎の松を中心に、日吉・膳所を取り入れた語り物の、此等の人々の為に綴られた物と言ふ想像は、さのみ無理ではあるまい。今其伝本が極めて乏しいから、此処には、わりあひに委しい梗概を書く。
嵯峨天皇の御代に、二条の蔵人前の左大臣清平といふ人があつた。御台所は、一条の関白宗嗣の女で、二人の仲には、子が無かつた。重代の重宝に、刃(ヤイバ)の大刀(タチ)・唐鞍(カラクラ)(家のゆづり、やいばの大刀。からくら。天よりふりたる宝にて)の二つがあつた。第六天の魔王の祟りで、女院御悩があつたが、天子自ら二才の馬に唐鞍を置き、刃の大刀を佩いて、紫宸殿に行幸せられると、魔王は、霊宝の威徳によつて、即座に退散して、御悩忽(たちまち)平癒した。天子御感深く、その他の家々にも名宝があらうと思はれて、宝比べを催されたところ、六条判官行重は上覧に供へるべき宝が無くて、面皮をかいて居たのを、清平が辱しめて、退座を強ひる。
判官には、五人の男子があつて、嫡子をよしながといふ。家に戻つて今日の恥辱の模様を話すと、よしながが父に讐討ちの法を教へる。其は、子はどんな宝も及ばない宝である。幸、二条蔵人には子が無いから、奏上して、子比べをして、恥をかゝせようと言ふのである。子福者の行重は、非常な面目を施した。御感のあまりよしながに、越後守を受領せしめられた。
清平は、今度は、あべこべに辱しめられて、家に帰つて、御台所と相談して、初瀬(ハセ)寺の観音に、申し子を乞ふ事になる。七日の満願の日に、夫婦の夢に、菩薩が現れて、子の無い宿因があるのだから、授ける事は出来ない。断念して帰れ、と告げさせられる。夫婦は、さらに三日の祈願を籠めて、一向(ひたすら)納受を願ふと、一子は授けてやるが、三つになつた年に、父母のどちらかゞ死なゝければならぬと言ふのである(一段目)。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:13
鶏の声
「お母様は、罪のない体でしたから、もう人間に生れかえっております」
「お前は、何故、いつまでもそうしておる」
「私は、私の貞烈のために、無錫(ぶしゃく)の宋(そう)という家へ、男の子となって生れることになっておりますが、あなたに情縁が重うございますから、一度あなたにお眼にかかるまで、生れ出る月を延ばしております、が、もうお眼にかかりましたから、明日は往って生れます、もしあなたがこれまでの情誼をお忘れにならなければ、一度宋家へ往って、私を御覧になってくださいまし、笑ってその験(しるし)をお眼にかけます」
 趙と愛卿の霊は、手を取りあって寝室へ往って歓会したが、楽しみは生前とすこしも変らなかった。
 鶏の声が聞えた。
「私は、帰らなくてはなりません、これでお別れいたします」
 愛卿の霊は泣きながら榻(ねだい)をおりた。趙も後から送って出た。
 愛卿の霊は階をおりて三足ばかり往ったが、ふと涙に濡れている顔を此方へ見せた。
「これでいよいよお別れいたします、どうかお大事に」
 趙も胸がいっぱいになって言おうと思うことが口に出なかった。
 暁の光がうっすらと見えた。と、愛卿の霊は燈の消えるように見えなくなった。室の方を見ると有明の燈の光が消えかかっていた。

 趙はその朝、旅装を調えて無錫へ往った。そして、宋という姓の家を尋ねたところがすぐ知れた。趙は半信半疑で往ってみた。妊娠してから二十ヶ月目に生れたという男の子がひいひい泣いていた。それは生まれ落ちるときから輟(や)めずに泣いているものであった。
 趙は主人に逢って、自分のきた事情を話し、主人の承諾を得て産室へ入って往った。今まで泣いていた男の子は、趙を見るなり泣くことをやめてにっと笑った。
 宋家ではその子に羅生(らせい)という名をつけた。趙はその日から宋家の親属(しんぞく)となって、往来餽遺(おうらいきい)、音問を絶たなかった。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:12
香羅巾下
一別三年
一日三秋
君何ぞ帰らざる
記す尊姑(そんこ)老病(ろうびょう)
親(みずか)ら薬餌(やくじ)を供す
塋(けい)を高くして埋葬し
親(みずか)ら麻衣(まい)を曳く
夜は燈花を卜(ぼく)し
晨(あした)に喜鵲(きじゃく)を占う
雨梨花(あめりか)を打って昼扉(ひると)を掩(おお)う
誰か知道(し)らん恩情永く隔(へだた)り
書信全く稀ならんとは

干戈(かんか)満目(まんもく)交(こもごも)揮(ふる)う
奈(いずく)んぞ命薄く時乖(そむ)き
禍機(かき)を履(ふ)んで鎖金(しょうきん)帳底(ちょうてい)に向う
猿驚き鶴怨む
香羅巾下(こうらきんか)
玉と砕け花と飛ぶ
三貞を学ばんことを要せば
須(すべから)く一死を拆(す)つべし
旁人(ぼうじん)に是非を語らるることを免る
君相念いて算除(さんじょ)せよ
画裏に崔徽(さいき)を見るに非ず

 歌の中に啜(すす)り泣きが交って、詞(ことば)をなさないところがあった。趙も涙を流してそれを聞いていた。
 歌の声は消えるように輟(や)んだ。趙は夢の覚めたようにして愛卿の側へ往った。
「おいで、お前にはいろいろ礼も言いたい、よくきてくれた」
 趙の手と愛卿の手はもう絡みあった。二人は室の中へ入った。
「お前はお母さんのお世話をしてくれたうえに、わしのために節を守ってくれて、なんともお礼の言いようがない、わしは、今、更(あらた)めて礼を言うよ」
「賤(いや)しい身分の者を、御面倒を見ていただきました、お母様は私がお見送りいたしましたが、思うことの万分の一もできないで、申しわけがありません、賊に迫られて自殺したのは幾分の御恩報じだと思いましたからであります、お礼をおっしゃられては恥かしゅうございます」
「いや、お礼を言う、それにしても、お前を賊に死なしたのは、残念で残念でたまらない、今、お前は冥界(めいかい)におるから、お母さんのことも判ってるだろうが、お母さんは、今、どうしていらっしゃる」
「お母様は、罪のない体でしたから、もう人間に生れかえっております」
「お前は、何故、いつまでもそうしておる」
「私は、私の貞烈のために、無錫(ぶしゃく)の宋(そう)という家へ、男の子となって生れることになっておりますが、あなたに情縁が重うございますから、一度あなたにお眼にかかるまで、生れ出る月を延ばしております、が、もうお眼にかかりましたから、明日は往って生れます、もしあなたがこれまでの情誼をお忘れにならなければ、一度宋家へ往って、私を御覧になってくださいまし、笑ってその験(しるし)をお眼にかけます」
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:12
白芋村
 趙は老人を連れてその足で白苧村にある母親の墓へ往った。墓場には愛卿の手で植えた小松が美くしい緑葉を見せていた。
「これは若奥様のお植えになったものでございます」
 老人はまた墓の盛り土へ指をさした。
「これも若奥様が御自身でお造りになりました」
 趙は老人と家へ帰って、家の背後の圃中(はたなか)に立った銀杏の下へ往った。趙は愛卿の死骸を見たかった。
 墓が発(あば)かれて、綉褥(しとね)に包まれた愛卿の死骸が露われた。趙は我を忘れてそれを開けてみた。
 ただちょっと睡っているようにしか見えない生々(なまなま)した死骸であった。趙はその死骸へ手をやって泣いたがそのまま気が遠くなってしまった。
 趙は老人の介抱によってやっと我に還った。彼はそこで愛卿の死骸を家の中へ運んで、香湯(こうゆ)で洗い、その姿にふさわしい華美な服を被(き)せて、棺に納め、それを母親の墓側へ持って往って葬った。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:11
季節はずれ
 季節はずれのそのレンコオトを着て、弟は寒そうに、工場の塀にひたと脊中(せなか)をくっつけて立っていて、その塀の上の、工場の窓から、ひとりの女工さんが、上半身乗り出し、酔った弟を、見つめている。
 月が出ていたけれど、その弟の顔も、女工さんの顔も、はっきりとは見えなかった。姉の顔は、まるく、ほの白く、笑っているようである。弟の顔は、黒く、まだ幼い感じであった。I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい。
 あの夜の女工さんは、あのいい声のひとであるか、どうかは、それは、知らない。ちがうだろうね。
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by yuugaavvv | 2006-02-18 16:08