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小次郎
但、小次郎の名は、助六狂言の影響から、京の小次郎(曾我兄弟の異父名)などの名をとり入れたのではないかと疑はれる。其は、順序は此と逆ではあるが、月小夜(ツキサヨ)といふ名が、曾我狂言に入つたと同じ径路を持つたものと考へられる。(に)の大道寺の姓も「花館愛護桜」の絵、並びに其以後の愛護物語には、大抵見えて居るので、説経以後突然出来たものとも思はれぬ。(り)の転生説は説経にも、細工夫婦を故らに唐崎で死なせてゐるから、痕形もなかつた事ではなく、説経の手落ちと見る方がよさ相である。
即、此説経は、前半は極めて緻密な作意を立てたのであるが、若出奔以後は、衆人周知の事を言ふので、極の梗概を語るに止めたものらしい。穴生の姥の事を叙べて「もゝのにこうが之を見て」など言うたのも、其間の消息を洩してゐるのであらう。だから後半は、殆ど伝説其儘で、前半は創作と迄言へずとも、古浄瑠璃の型を追うて書いたものだ、と言ひきつて差支へないであらう。
by yuugaavvv | 2006-02-18 16:16