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# by yuugaavvv | 2007-03-02 22:42
伊勢新九郎長
此処に伊勢新九郎長氏の種姓(スジヤウ)調べが、一道の光明を与へる。長氏の本貫は、大和とも宇治とも言ふ。其祖盛継は「天性細工に妙を得。其頃大坪道禅弟子として、鞍鐙の妙工を相伝す。伊勢守の家、是より此細工を専らとす」るやうになつたのであるが、長氏浪人の後、東国下向に伴うた腹心の者に、山中・多田・荒川・佐竹及び荒木兵庫頭・大道寺太郎の六浪士が(北条五代記)ある。而も荒木・大道寺共に、田原郷の地名である。
天武流離譚が、田原から江州へ推し出した事は想像出来る上に、此地名から見ても、宇治の田原を本貫に持つたとも考へられる後北条氏が、馬具細工の家筋であつたと言ふ事は、愛護民譚の細工小次郎が譬ひ琴ノ御館ノ宇志丸の変形であつたとしても、余りに突発的だつた此人物の融和点を示すと共に、田原栗民譚が、愛護民譚に歩み寄つた痕を見せるものと考へる。
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# by yuugaavvv | 2007-02-18 16:17
学校
 わたしたちの時代には、学校がそこにあった関係から、お茶の水と呼んでいた附属高女の専攻科の方が見えて、雑誌に何かかくようにと云われた。いまその原稿をかきはじめている、わたしの心持には複雑ないろいろの思いがある。そして、そういう思いは、わたしと同級生であった誰彼のひとたちが、もしその雑誌をよむとしたら、やっぱり同じように感じる思いではなかろうかと思う。なぜなら、随分久しい間、わたしは、自分が少女時代の五年間を暮した学校と縁がきれていた。ざっと十年以上。縁がきれたことには、わたしの方からでない理由の方が大きく作用していた。
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# by yuugaavvv | 2006-08-12 19:11
米国
 私は、最近米国の所謂文壇が、どんな作品を歓迎し称讚しているかは知らない。が、ほんの一寸でも触れて見た知識階級、又は文芸愛好者とも云うべき人々の間で、悦ばれていた二三の作家を思い出して見よう。
 そう思って自分の読み度いと思う本のリストを繰って見ると、其の大半は欧州の作家である。“The Four Horseman of Apocalypse.”を書いて俄に注目の焦点と成った西班牙(スペイン)のブラスコ・イバンツを始め、松村みね子氏によって翻訳された「人馬の花嫁」の作者、ロード・ダンサニー其他、H. G. Wells, John Galsworthy, Kipling, Anatole France, Maurice Maeterlinck. 等と云う作者は、皆、英国、仏蘭西、白耳義(ベルギー)の人々である。
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# by yuugaavvv | 2006-08-12 19:05
蛋白質の榮養價
 蛋白質の榮養價を決定するには、單に分析だけでは駄目である。是非とも動物試驗を行はなければならない。私は農藝化學を修めたので、植物の肥料試驗法を知つて居つた。水耕法と稱して、純粹の水に植物の養分となるべきアムモニヤとか燐酸、加里、石灰などを適量に溶解し植物を浸して置くと能く生育するが、一つでも養分が不足すれば直ちに發育は停止し、或は枯死する。例へば、燐酸が缺乏すれば、葉が黄色に變じて枯れてしまふが如き……。
 又、砂耕法と稱して、純粹の硅砂中に植物を植ゑて各種の養分を與へても、同樣の試驗が出來るのである。それが動物に就ても同樣に、純粹の蛋白質と脂肪、炭水化合物及び無機成分を集めて人工配合飼料を作り、動物を飼育することが出來る筈である。そしてその中に米の蛋白質とか、肉の蛋白質とか、種類を違へて與へたならば、動物の發育が違ふだらうと考へたのでその方法で鳩や鼠などを試驗した。ところが意外にも右の樣な配合飼料では動物は數週間で死んでしまふ。何遍やり直しても同じことで、その原因がどうしても判らなかつた。その内に糠が特殊な成分を含んで居ることが判り、これを配合飼料に加へると、能く發育することを實驗した。
 當時、糠は粕の樣なもので、家畜の飼料或は肥料に用ひらるゝのみで、人間の食物としては全然顧みられなかつたものである。その糠をその儘與へる代りに、糠のアルコール浸出液にして加へると、同樣に有效であることを確かめ、種々の化學的操作を施して、一製品を得、從來未知の成分であることが判つた。これが即ち「オリザニン」(ヴィタミンB)である。
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# by yuugaavvv | 2006-04-14 10:55
當時ベルリン大學
 當時ベルリン大學で、エミール・フヰツシャー先生が蛋白質の研究を始めて居たので、私は二年有餘、先生に師事してその仕事を手傳つた。その時初めて蛋白質の種類によつて榮養價が違ふといふことが判つた。それで日本人は米を主食としてゐるから、或は米の蛋白質が惡いのではなからうか、米の蛋白質と肉類の蛋白質とは榮養上に大なる相違があるのでなからうか、といふ疑問を抱いた。
 私が三十九年歸朝する時、フヰツシャー先生に、歸朝後どんな研究をしたらよからうかと相談したところ、先生の云はるゝには「歐洲の學者と共通の問題を捉へたところで、こちらは設備も完成し、人も澤山あつて、堂々とやつてゐるのだから、とても競爭は出來まい。それよりも東洋に於ける特殊の問題を見付けるがよからう」といふことであつた。私はそれは至極尤と考へたから、差し當り米の問題を研究することにしたのである。
 それで歸朝すると、盛岡の高等農林學校の教授に任命されたので、第一に吉村清尚君(現鹿兒島高等農林學校長)と協同して、白米、玄米、及び糠の蛋白質の性質を調べ、また糠から一種の含燐化合物(フヰチン)を抽出し、次で、糠の中には、鐵を含んだ蛋白質の存在することを見出した。
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# by yuugaavvv | 2006-04-14 10:55
室町
此伝説は、鎌倉の初めから室町に到つて完成した継子虐待物語――落窪物語は疑ひもなく鎌倉初期の作――(ぬ)と、室町から江戸の初め迄勢力のあつた本地物語(る)との上に、やはり室町に芽ざして、江戸に入つて多様な発達を遂げた殉死、寧心中物語(を)と、室町に著しくなつた若干の児物語(か)とを加へて経としてゐるから、此伝説の主要部は、徳川初期には既に、出来上つてゐたもの、と見てよからう。処が「長物語」の様な創作に比べると、却つて非常に古い種を蔵してゐるのも、不思議である。
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# by yuugaavvv | 2006-03-18 16:16
小次郎
但、小次郎の名は、助六狂言の影響から、京の小次郎(曾我兄弟の異父名)などの名をとり入れたのではないかと疑はれる。其は、順序は此と逆ではあるが、月小夜(ツキサヨ)といふ名が、曾我狂言に入つたと同じ径路を持つたものと考へられる。(に)の大道寺の姓も「花館愛護桜」の絵、並びに其以後の愛護物語には、大抵見えて居るので、説経以後突然出来たものとも思はれぬ。(り)の転生説は説経にも、細工夫婦を故らに唐崎で死なせてゐるから、痕形もなかつた事ではなく、説経の手落ちと見る方がよさ相である。
即、此説経は、前半は極めて緻密な作意を立てたのであるが、若出奔以後は、衆人周知の事を言ふので、極の梗概を語るに止めたものらしい。穴生の姥の事を叙べて「もゝのにこうが之を見て」など言うたのも、其間の消息を洩してゐるのであらう。だから後半は、殆ど伝説其儘で、前半は創作と迄言へずとも、古浄瑠璃の型を追うて書いたものだ、と言ひきつて差支へないであらう。
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# by yuugaavvv | 2006-02-18 16:16
近江輿地誌略巻
近江輿地誌略巻十七に数へた愛護ノ若伝説の重要な点は、

継母の讒言(い)。若の出奔(ろ)。革細工の小次郎の情(は)。大道寺田畑之助の粟の飯(に)。帥ノ阿闍梨に会ふ(ほ)。桃及び麻の件(へ)。手白の猿(と)。霧降の滝の身投げ(ち)。小次郎は唐崎、田畑は膳所田畑の社、若は日吉の大宮と現じた(り)。

と言ふ個処である。其中説経には(は)を唯細工としてゐるだけで名は伝へぬ。(に)の大道寺の姓も見えぬ。(ほ)の帥ノ阿闍梨の件は、会ひに行つた、といふ処を略した言ひ方と見るべきである。(ち)の霧降はきりう即飛龍の滝の事である。(り)の小次郎・田畑之助の転生一件はない。
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# by yuugaavvv | 2006-02-18 16:15
四条河原
かみくらやきりうが滝へ身を投げる。語り伝へよ。松のむら立ち

とう/\若は、身を投げた。其時十五歳とある(五段目)。
滝のほとりにかゝつてゐる小袖を見つけた山法師等が、山の稚児の身投げと誤解して、中堂へ上つて、太鼓の合図で稚児の人数しらべをする。ところが小袖の紋で、若なる事が訣つた。実否を確める為に、二条へ使が行く。さて父・叔父などが集つてしらべると、下褄に恨み言が発見せられ、其末に「四条河原の細工夫婦が志、たはたの介兄弟が情のほど、如何で忘れ申すべき。まんそうくち(公事)を許してたべ」とあつた。
そこで、雲井ノ前は簀巻にして川に沈め、月小夜は引き廻しの末、いなせが淵に投げ込んだ。かの滝に来て見ると、浮んで居た骸が沈んで見えない。祈りをあげると黒雲が北方に降りて、十六丈の大蛇が、愛護の死骸を背に乗せて現れた。清平が池に入ると、阿闍梨も、弟子共も、皆続いて身を投げる。穴生の姥も後悔して、身を投げる。たはたの介・手じろの猿も、すべて空しくなつてしまふ。細工夫婦は、唐崎の松を愛護の形見(カタミ)として、其処から湖水に這入つた。其時死んだ者、上下百八人とある。
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# by yuugaavvv | 2006-02-18 16:15